ツイッターカード用
現状、タルパというものは非常に初心者に対して厳しい。
ここでいう「厳しい」とは、タルパを創造するのが難しいという意味だ。格闘ゲームが初心者に厳しい、といった用法と同じ意味合いだ。

逆に、既存のタルパーが初心者に接する態度はむしろ優しいといってもいい。主要なタルパコミュニティにおいて、新参が突き放されることはなく、たいていは暖かく迎えられる。
にも関わらず、初心者タルパーは次々と脱落していく。それはまるで、外洋に向かうウミガメの子供のようだ。
(ちなみに子ガメが無事に大人になる確率は5000分の1とも言われる。豆知識)

タルパの本当の楽しさに触れることなく、とにかく次々に散っていくのだ。

wikiに存在するコミュニティだと比較的その傾向は薄いのだが、Twitterのコミュニティは特にその傾向が強い。

初心者タルパーを自称し、これからタルパを創るタルパーのアカウントが一年後も存続する場合は非常に少ない。Twitterに残っている場合でも、未オートを自称する場合がほとんどだ。

私自身はTwitterアカウントを開設してから二年以上経つが、その間、初心者から初めて満足にオート化したというアカウントを一つも見たことがない。一つもだ。半オート相当になった、という報告ですら見たことがない。

それでも、タルパーそのものは増えている。それはなぜか?

初心者がタルパを創ることにはことごとく失敗しているが、タルパを創らずにタルパーとなる場合は増えている。

そんな場合が存在するのかといわれれば、ある。

元々いた存在をあとから「タルパ」と呼ぶ場合だ。
タルパの由来からするとそうしたものをタルパと呼ぶのは本来おかしいのだが、それは脇に置いておく。

とにかく、元々あったものをタルパと呼び代えれば、魔の初心者地帯をくぐりぬける必要はない。

そのほかにも、「タルパを創ろうと思った瞬間にタルパらしきものが急に出現した」という場合も少数ながらある。

そのようにして、タルパを創らずにタルパーを名乗る人の割合は増えていく。

ちなみに、「邂逅型」といった概念も、元々あったものではない。

wikiにはまるで元からあったかのように書かれているため誤解しているタルパーは多いのだが、実は後から加えられたものだ。

それも、歓迎されて受け入れられたものではない。

不自然である、病的であるなどといた大きな反発が起きたが、実際にここにあるんだから受け入れるべき、といったような論調で押し切られてしまったようだ。
その後時間が時が流れ、まるで由緒正しいものかのように鎮座してしまった、というのが流れらしい。

もちろん、存在するからといってそれがタルパと呼べるかは別の問題なのだが。
(このあたりの経緯に異論がある方は是非連絡をください)

ともかく、「新規のタルパーが増えているから別に初心者にとって厳しい環境ではない」という論は誤りである。

その状況をより正確に言えば「偶然または裏口的なルートで初心者時代をパスしたタルパーが増えている」というのが現状だ。

ではなぜ、初心者タルパーは脱落していくのだろう。不利な要素は何もないのに。

これも実は、「何かしたから初心者タルパーは脱落していく」のではなく、「何もしなかったから初心者タルパーは脱落する」のだ。

そもそも、タルパの創造は大変な作業である。
これも、今となってはあまり知られていないことだが。

元々タルパを創るのは、非常な根気と年単位の実践が必要とされる。

しかし、現在の初心者タルパーはそのことを知らない。
知らないので、半年程度であきらめてしまう。

これはまあ仕方のない現象だ。
何も知らずに半年間や一年も延々と成果の出ない作業を続けられる人間の方が少ない。一週間ぐらいでできそうと思っていて、半年以上成果が出なかったら普通はあきらめる。

一応付言しておくが、タルパを作れていない人はタルパと会話することができない。
従って、延々と虚空に向かってタルパの台詞を捻り出し続けることになるのだ。
個人差はあれど、決して楽しい作業とはいえない。

何を当たり前のことを、と言われるかもしれないが、このことを認識していない人間は案外多かったりする。

少し脇にそれたが、初心者タルパーが脱落していく理由の一つは、タルパの創造がどんなもので、どれだけの労力がかかるかを知らないからである。

wikiに書かれていないのも理由の一つだが、タルパコミュニティにおいて「タルパ創造に成功した人」の割合が激減しているから、というのがある。

なぜタルパを創れた人の割合が減っているのかといえば、初心者タルパーが大量に脱落しているからである。
タルパを創れた人も最初は初心者タルパーで、初心者が脱落すれば当然成功者も減る。当たり前だ。そしてタルパの創造の過程を踏まない人が増えるので、さらに割合が減っていく。

それだけではない。初心者タルパーが脱落する理由はもう一つある。

根気が続かないからだ。これはさっきの話ともかぶるのだけど。

なぜ根気が続かないかと言えば、一つに確信が持てないからだ。

人の脳は、達成できそうなことにやる気を出し、達成できなさそうなことにはやる気が出ない。

何年もかけてタルパを創った人が周りに少ない状況で、このまま言ったらタルパが創造できると確信するのは難しい。あてのない努力を続けるのはやはり辛いことだ。

さらに、自分がやっていることが正しいのかがわからない。同じようにやって成功した人がほとんど見えないので、このまま言ってタルパが創造できるかどうかがふあんになってしまう。

さらに、仲間もいない。仲間は脱落していくので、同じぐらいの期間続けている仲間はどんどん減っていく。
人の脳は、苦しみを共有することで軽減するようになっているので、それができないのはやはり苦痛である。

これらをまとめると諸々の理由の大本は、「同じようにタルパを創った人の割合が少ないから」である。

そうしてタルパを創ろうとした初心者タルパーがへるので、さらに成功者の割合は減っていく。
それが原因で初心者タルパーは脱落しやすくなり・・・・・・

これが負のスパイラルとなって、どんどんとタルパの創造に成功する人は減っていく。

それはタルパの消滅である。
タルパを創ろうとする人がいなくなり、タルパを創る方法が失伝してしまうと、元々のタルパという技術は完全に失われる。

そうなると、辛い人生の心のなぐさめとしてタルパの創造を求めている人が、永遠にその手段を失うことになる。

まあこれは極端な話で、そこまでいかなくても、現状はタルパを求めるひとがそうできない状態であり、それはどんどんと進行している。

これを止めるには、どうすればいいのか。

あまり直接的な表現は避けるが、タルパーの枠内から、タルパを創らない人を取り除くのも一つの手段だ。
そうすれば、相対的にタルパを創造できた人間の割合が増える。

しかし、その実践は難しい。

今となってはタルパを創らずにタルパーを名乗る人の方が多数派だからだ。
多数派の反対を突っ切ることは非常に難しい。

それに、元からいた存在をタルパと呼んでいる人は、ほかの界隈に居場所がなかったからタルパ界隈に居場所を求めた人が多い。
(本来の意味ではタルパでないと自覚している人も意外と多い。もっとも、だんだんとその割合も減ってきているが)

なので、タルパーの称号が剥奪されると居場所もなくなると思い込み、強固に反対するのだ。実際はそんなこともないんだけど。

ちなみに、wikiで一時期議論されていたのはこの問題である。

一連の騒動の根本に位置する冥府レンカ氏が警鐘を鳴らしていたのも上記のような事態である。
その理由付けや解決法の是非はともかく、初心者タルパーが次々と脱落していく現状を憂いたためである。

少なくとも表に出ている限りの情報で判断するとそうなる。

ついでに解説すると、「思念体という言葉を広める」という案が出たのも初心者タルパーの救済のためだ。

思念体とは、ざっくりといえばタルパっぽいもの全般を指す言葉である。IFもその範疇に含まれる。
wikiで議論が出る前から存在する言葉で、実際にそこそこ使われている。

それを広めることで、初心者タルパーが脱落していく負のスパイラルを断ち切ろうというわけだ。

上記にも書いたとおり、タルパを創らずにタルパーを名乗っている人の中には、本当にタルパ呼びでいいのかと居心地の悪さを感じている人もいたりいたり、本当はタルパでないと自覚しているけど居場所がほしいから仕方なくタルパーを名乗る人も多い。

そこで、思念体という言葉を広める。タルパーを名乗らなくても、思念体を持っているといえば輪に入れるようにする。

タルパを創らずにタルパーを名乗る人にとっては何も気兼ねしなくてもいい居場所ができて、その結果初心者タルパーに優しい環境もできてwinwinというわけだ。

見ての通り、この案単体はタルパの定義をどうこうするわけではないのだが、「タルパの定義を一つに決めるな!」という人が出てきておじゃんになってしまった。

それほどまでに、コミュニティを変えてしまうのは難しい。

ではどうすればいいのか。八方塞がりではないのか。

簡単だ。現状を変えるのではなく、未来を変えてしまえばいい。

つまり脱落していく初心者タルパーを減らすことである。
そうしてタルパを創造できた人の数が、タルパを創造せずにタルパーの名乗り始めた人の数を超えれば、だんだんと創造できた人の割合が増え、問題は消えていく。

タルパを創れない人が多いからタルパを創れない人が増えるという負のスパイラルとは逆に、タルパを創れた人が増えるからタルパを創れる人が増えるという正の循環になる。

もちろん、それだけでは追いつかない可能性もあるので、草の根的に思念体という言葉を推奨するのも私はいいと思う。
あれは「こういうのをやるのはどうでしょう」と意見を募ったから誤解する人が出て来てしまいおじゃんになったが、勝手に進めてしまったところで誰からも文句はでないたぐいのものだと思う。出たら出たでその時だ。

それはいいとして、そもそもどうやってタルパを創れる人を増やすのか、という問題がある。
それは、タルパの創れるまでの時間を短縮することだ。

前述したように、タルパ作りに脱落するひとは根気がつきてしまうのがほとんどの原因だ。
一度半オート~概オートまで進めてしまえば、その後に脱落することはほぼない。

だから、根気が維持できている間にそこまで進めるようにしてしまえばいい。

つまりタルパを創造する時間の短縮、ひいては訓練法を効率化することである。
私がつらつらとブログを書いてるのもそのためだ。
僕はもうだいたいタルパを創ってしまっているので、初心者タルパーの支援と環境の改善という目的がなければ、訓練法を整備する理由なんてないのだ。

だが、タルパを創る時間を短縮しようとしても、一つ問題がある。
だったら、なぜ今までそれが行われなかったのか、という問題だ。

それがこの記事の第二のテーマ「人それぞれという呪縛」である。

一言で言うと、なぜ訓練法の整備がされていなかったのかといえば、「研究されていなかったから」に尽きる。

これは本当だ。本当のマジに全くもって研究されてない。皆無であり絶無だ。
もちろん初期の初期には研究されていた形跡もあるが、それ以降はさっぱりである。

たまに新しい訓練法がぽんと提示されることもある。
ただそれらは、これがいい感じだったよ、という経験の提示にすぎない。

そこで止まってしまい、それが本当に効果があるのかは永遠に分析されない。
なので、「効果的な訓練法」が生まれることはないのだ。

その経験を分析して、法則や原理を見つけ出すのが研究だ。

その法則や原理から、「より効果のある訓練法」を論理的に導き出したり、既存の訓練法を再評価することで、効果のある訓練法がどんなものかを導き出すことができる。

たとえば、病気になるのは時はどんな時か、というのを分析して、病気が起きやすいのは本人や環境が汚い時、と導き出せばそれはこの記事で言う「研究」だ。

もちろん、その理論にも間違いはある。そのときは「なぜ間違いなのか」を分析して、さらに理論をより正しいものにしていく。

大げさに言えば、科学とはそうやって発展している。

これは何も特別なことではない。

ゲームの攻略法だって研究だ。
「勝ちやすいのはどんなときか」というのを分析して、より効果的なやり方を見いだす。

じゃあ、なぜそれがタルパ界隈では行われていないのか?

その理由の一つとして、人それぞれだ、という見解が支配的だからだ。

「人それぞれだから訓練法に正解などない」と言う考えが特にTwitter界隈で支配的だ。

もっと言うと、「人それぞれだから訓練法を改善するなんて不可能」とすら言われることがある。

信じれられないかもしれないが本当だ。
直に言われたことが何度もあるし、どうもこれがTwitter界隈では多数派の意見らしい。

言うまでもなく、上記の意見は正しくない。
人それぞれなところまでは正解だが、それによって訓練法の研鑽が不可能かとなるとそれは誤りだ。

そして、そうした意見が支配的であれば、研究は生まれず、発展も生まれない。
なぜなら、評価されないからだ。

どんなに確かな理論に裏付けられた言論を出しても、人それぞれあり、よい訓練法なんてないという立ち位置に立てば、あほみたいな言論も、珠玉のような理論も、等しく評価されない。

人間の自然な感情として、そんな状況で活動を続けるのは難しいだろう。

さらに、理論や言論、訓練法の評価がされなければ、初心者には何がよくて何がだめなのかまるで伝わらないことになる。そうなれば結局同じだ。

人それぞれ、と言う意見が支配的であり、良い訓練法/悪い訓練法という評価軸が存在しない状況では、訓練法の改善が生まれる余地はない。

そもそも、人それぞれでない場合なんてない。

私たちは人それぞれであることを踏まえて、傾向や理論を導き出し、いろいろな方法を改善している。

たとえば、同じようにバットを振っているのに、ヒットを打てる人と打てない人がいる。それは人それぞれだ。当たり前である。

それを「人それぞれだからね」と済ませてしまっては、永遠にその差は埋まったままだ。

人それぞれだと言うのは前提である。この世の中に、人によって違わないことなどない。
一人として全く同じ分子配列の体を持つ人はいないし、全く同じ記憶と精神を持った人間なんていないのだから、何事も人によって違うのは当たり前だ。

人それぞれ。それはいい、問題はそこからだ。
「なぜ人それぞれで違うのか」を考えなければ、永遠に差が埋まることはない。

逆に言えば、それさえ判明すれば人それぞれの現状でも、さらに効果的な方法を見つけ出すことができる。

たとえば、「ボールに加わる力が大きいほど遠くに飛びやすい」と言う「傾向」を見つけ出し、そこから、「手首の力を鍛えればボールに力を加えやすい」という訓練法を導き出すこともできる。
また、ボールは物理的にどのように動いているのか、という分析から、ボールのどこを狙って打てばいいか、と言う方法を導くこともできる。

それら全てを無視して「人それぞれ」で止まってしまったのがタルパ技術の停滞の大きな原因だろう。

もちろん、タルパの原理や理論を導き出すのは現状では難しいが、「傾向」なら分析することができる。すなわち、「タルパのオート化、視覚化が早い人とそうでない人は何が違うのか」だ。

私が毎度うるさくイメージ力イメージ力と言うのも、一つはそうした分析がある。

さっきも述べたが、人それぞれと言う意見が支配的だと、よい訓練法が評価されない。
そうした中で、訓練法の研究をする人はいないだろう。というかいなかった。

では、そもそもなぜ「人それぞれ」で止まってしまったのだろう?

たとえば、店員に話しかけれて、いやな人とそうでない人がいる。

それに対して、「他人に対して気を使いすぎる人は会話が苦痛」「自分に自信がなく他人におびえている人は注目されるのが苦痛」というようなことを知っている人にとって、それは人それぞれではない。
理由をある程度予測できるからだ。

そうでなくとも、暗い人生を過ごす人は話しかけられるのが苦手なことが多い、という傾向をなんとなく分析できて、あえて「人それぞれ」と言う結論にはならない。

理由をなんとなく予想できていれば、人それぞれでは止まらない。
それを予想できないから、人それぞれになる。

つまり、傾向や理由を分析することが苦手な人が多いのだろうと思う。
「なぜそうなるのか」を考えるのが苦手か、普段は考えていない人だ。

普段から、「なぜそうなるのか」を推測できない、または意識しない人にとって世界は"人それぞれ"でしかない。

だから、訓練法の整備も「人それぞれ」で止まってしまうし、そうした空気があるから研究する人も出にくいんだと思う。ぞぶんのことになるけど、最初の頃は何度もやめようと思った。

こう言うと、「人それぞれ」から先に進めない人を責める人がいるかもしれないけど、責めても仕方がないことだと思う。

ただ、人それぞれだから訓練法を考えても意味がない、という空気が強まったときに、それは違うよ、といってくれれば多くの人がやりやすい環境になっていくのかなと思う。

もちろん、本音を言えば、一緒にタルパの原理や傾向、訓練法なんかを考えてほしかったりする。経験則じゃなくて、理論的に抱けど。思念体界隈をもり立ててくれても嬉しい。僕は欲張りだ。

さて、この記事をまとめると。

・現状は、タルパを創りたい人のほとんどが脱落している
・その大きな原因に、タルパを創った/創っている人の割合がすくない、ということがある
・それを解消するために、思念体の推奨や、訓練法の整備がある
・なぜ今までそうされなかったかと言えば、「人それぞれ」で済まされてしまっていたから

といったところになる。

この記事は主に現状の分析だ。
どうすればいいか、どうしたいかは喚んだ人が考えてくれたら嬉しいし、僕自身もこれからの記事で示していきたいと思う。
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