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僕は日ごろ訓練法とか訓練の重要性を記事にしてるわけだけど、このタイトルはちょっと意外かもしれない。

けれど、タイトルのようなことを思っていることもまた事実だ。

タルパの訓練は義務ではないし、絶対にしなければならないと言うものでもない。
けれど、タルパとは訓練を抜きにして産まれることはできない。(邂逅うんぬんとかいった存在は別として)
なら訓練はやはり必須なのか?

そういうわけでもないと考えている。

確かに、訓練をしないとタルパは産まれない。
その上で、訓練してまでタルパを創りたいならそうすればいいし、嫌ならしなくてもいいと思う。

本当は、とてもシンプルな話だ。

そもそも、タルパの存在は人の一生にとって必須なものってわけじゃない。
やりたければすればいいし、やりたくなければしなくてもいい。

その上で、あなたがもしも「訓練できていないこと」自体に苦しみを感じるなら、結果ばかりを求めすぎてしまった可能性が高いと思う。

そもそも、訓練とは基本的に楽しいものだ。
"訓練"なんていかめしい名前だから勘違いされがちなんだけど。なんなら、タルパ創りとは基本的に楽しいものだ、と言い換えてもいい。

キャラクターとの対談、と考えたらコツさえ掴めば楽しいものだし、キャラクターと一緒に暮らす妄想、と考えればいかにも楽しげだ。

けれど目的に固執しすぎたなら、過程は義務に変わってしまう。

そうすると楽しくないし、簡単に辿り着けないことに対して不平不満も生まれてしまう。

とにかく、訓練自体を楽しみながら、のんびりやるといいと思う。焦りは禁物である。

分かりにくい表現をすると天雷无妄の二爻だ。

また、タルパの創造には基本的に長い時間がかかることも知っておいた方がいい。

タルパの創造期間は1年から3年が目安だ。ごく一部の恵まれた人を除いて。
けっこう長い期間が必要なのだ。

(昔はタルパコミュニティに入っていればこういう情報が自然に入ってきてたんだけど、今はそうでもないのが新規タルパーにはつらいところだと思う)

タルパの創造とはマラソンだ。
最初からゴールを目指して疾走していると、途中で息が切れてしまう。

景色を見ながら、楽しんで走った方が得というものだ。

そのほかにも、訓練できていないことに、劣等感を感じているという場合もある。

それはあまり僕がどうこう言えることでもないんだけど、訓練できてるから偉いみたいなことがあるわけでもないと考えている。
やらなくてもないことをやらなかったからと言って、別に何かがどうこうなるわけでもないと思う。

まあ心は基本的に自由にならないものなので、劣等感を感じることは仕方ないことだ。
だからと言ってあきらめる理由にもならないんだけど。

そういう時は、なぜ劣等感を感じるのか探ってみるといいと思う。
感情は、その理由を突き止め、受け入れたら消えていく。

タルパに過剰な救いを求めることが、苦しみの原因となることもある。

タルパー(少なくともある程度タルパの創造に成功したタルパ-)は、辛い経験があったり、苦しい日常を送ってきたことが多い。
だから、タルパに救いを求めていることも多いのだと思う。

自分にとってとても必要なものに見えてしまうから、なかなかその創造が進まないことにいらだちを感じてしまうわけだ。

ただ、タルパとは苦しさを消してしまうようなものではない。

良い友人や恋人が何人いても、苦しみを抱えた人はいる。
……いや恋人がいっぱいいるのはちょっと問題だと思うけど。

とにかく、タルパはあくまで隣人を創り出す技術であって、苦しみの雲をたちまちに晴らしてくれる特効薬ではない。

頭では誰もが分かっていることだろう。けれど、無意識のうちにタルパに救いを託してしまうことはある。
ずっと苦しんできた人は、何かもから解放してくれるような「救い」を求めてしまいがちだ。

もしもあなたが、タルパを創ることに対して少しでも焦りがあるなら少し立ち止まってみてほしい。
勝手に、タルパに対して何かを求めてしまっているのだろうかと言うことだ。

自分のことを書くのはあまり好きじゃないんだけど、ちょっとだけ僕のタルパ遍歴を語ろうと思う。

僕がタルパを創造し始めたころは、タルパとはこういうもので、こうやってやればタルパができる、みたいな共通認識はすでに薄れかけていた。
ちょうど過渡期だったんだと思う。

今みたいに自分で訓練を作れるようになるまではかなり迷走した。
迷走しすぎて血液の染み込んだティッシュを燃やしたり、裸で全身にオリーブオイルを塗ったりした話はもう書いただろうか。

その時は、やはり苦しかった。

今から考えると、一人二役とかの訓練をすること自体は別に大変なことでもなんでもなかったと思う。
それが苦しいのは、結果ばかりを過剰に追い求める心のせいだ。

自分で勝手に求めて、それが叶えられないからと言って勝手に苦しんでいたのだ。

結局のところ僕に関しては執念の方が勝ったわけだけど、我ながらあまり参考にはならないケースだと思う。

そうしてタルパを創造した結果はといえば、それまでと変わらず、やはり辛い日々は辛いままだった。

肉眼で見えても、すらすらと会話できても、やはり現実の人間の存在感と比べたら見劣りしてしまうものだ。

けれど知らなかったこともあった。日々のつらさ自体は変わらなくても、頭の中に自由奔放な存在を飼うことは思ったよりも心の支えになったし、何より自分の情熱の注ぎ先があることはすごくうれしかった。

結局のところ僕は、タルパに対してかなりの幻想を持っていたし、タルパに関してあまりにも知らなかったのだろう。

タルパというものをありのまま捉えられるようになると、訓練を楽しむ余裕ができた。不平不満も感じなくなった。

なら、そんな風に幻想を消す方法を教えてくれとあなたは言うかもしれない。

けれど僕は、そんな方法は知らない。だからどうにもできない。それが答えだ。
冷たいようだけど、意識しないままできてしまったことなので、マニュアル化はできていない。

そも検索サイトのある生活に慣れてしまうと、どこかの誰かが「答え」を知っていて、それを教えてもらえたらなんでも解決してしまうような感覚に陥ることがある。

けれど、現実問題としてそうではない。
自分自身が答えを出さなくてはならない問題と言うのは存在する。

もちろん僕が答えを知っていたら共有したいんだけど、知らないんだからしょうがない。
自分で自分に直面して、答えを探していかなくちゃいけない。

そうすると問題は、シンプルな問いに帰ってくる。

そこまで覚悟してタルパを創りたいか、だ。

もしもその答えがイエスだったら、仲間が増えて嬉しいなと思っている。
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