ツイッターカード用
突然だが、私がこのブログを書いているのは基本的に「タルパ創りに成功する人を増やすため」だ。
そんなわけで、私はちょくちょくタルパを創りたての人から質問を聞いたり、相談に乗ったりもしている。

そんな中で、よく聞くのが以下の悩みだ。

「タルパの存在を信じることができない」

これに関する答えは一つだ。
別にタルパを"信じる"必要はない。

なぜなら、別にタルパの存在を信じなくても視覚化もするしオート化もするからだ。

そもそも「タルパ」とは無から有を作る技術だ。
実在感は後からついてくるものなので、創り始めから「タルパを信じることができないんです!」と不安になる必要はない。

それはパン生地を練っている段階で「綺麗な焼き色がついていないんです!」と言うようなことに近い。

もちろん信じられるならそれでいいのだが、問題はそうできない場合だ。
ここで私が言いたいのは、信じられないことに変な負い目を感じる必要はないと言うことだ。

それでも信じたい、と言う場合はある。

例えば、彼女(または彼)はそこにいるはずなのに、信じられないのは失礼な気がして申し訳ない、という場合だ。

私もそうだった。そうした気持ちはよく分かる。
気にしない方がいい、と言われても、それができれば苦労はしないだろう。

そんな時は、視覚化やオート化を進めるのが一番の近道だ。

タルパの創造が進み、姿がはっきりと見えて、シームレスに会話ができるようになれば、もはやタルパの存在を疑うこともない。
いや、そこまでくると実在してようがしていまいが関係なくなる。

なぜなら実際にそこにいるからだ。

いわゆるタルパコピペにも、タルパを信じることが重要だと書かれている場所はない。
想像することがタルパの創造であって、まだ創られていないものをことさらに信じる必要はないのだ。



しかし、それを踏まえても、信じることが必要だと思ってしまうケースの人もいる。

元からいた存在、または、急に現れた存在のことを"タルパ"なのだと呼んでいて、訓練をしていない場合だ。

その存在は不安定なのに、安定させる手段はない(訓練をしていないから)。

となると、盲目的に信じ込むしか手段はない。
けれど、信じようとして信じられれば世話はない。

タルパの存在が必須であるかのような誤解が広まったのも、こうした背景があるのだろう。

じゃあそんな人はどうすればいいのか?

私は訓練をすればいいと考えている。

それはつまり、改めて一人二役をしたり、姿を想像する、といったことだ。

ただ、一つだけ注意点がある。

それは、その存在と話すのではなく、言いそうなことを想像することだ。
実際に見るのではなく、その姿をイメージして想像することだ。

そうして、最終的には「言いそうなことを想像する」ことと、「実際に話す」ことが同じぐらいの精度とスピードになるといい。

そうなれば、一から創り上げた人と条件は一緒になる。
その上で訓練を続ければ、いつか確固たる実在感を得ることができるはずだ。

また、急に現れた存在を持つ人は、それと"繋がる"ことで会話したり姿を見ていることが多いと思う。

その場合、訓練中は"繋がらない"ことが望ましい。
理由は詳しくは分からないが、"繋がった"状態ではっきりした視覚を見て、言葉を交わしても、実在感は得ることができない場合が多い。

このことに関して、僕が現在考えている仮説はこうだ。
まだ噛み砕けるほどきっちり構築できてないので、言葉の定義や論理構造が厳密でないことを許してほしい。

"繋がって"いないと会話できない状態は、その存在が持つ情報量(またはイメージの量と質)が足りていないと考えている。

"繋がって"いる場合は、現実の感覚が希薄になることが多い。恐らく変性意識状態と見ていいだろう。

変性意識状態の時は、普通なら意識にすら上らないほど希薄なイメージでも、スキーマなどの働きによって補完され、はっきりと意識することができる。

しかし、現実に帰ってきたときはどうだろう。実在の人物や事柄が持つ情報量には遠く及ばない。
希薄なイメージの記憶は、現実の持つ情報量に押し流される。だから、実在感が得られないわけだ。

それ以外でも、"繋がっている"状態で会話したり姿を想像しても視覚化やオート化が進まなのは割と確かだ。
これを僕は、顕在意識によるフィードバックがないため学習して自動化を……まあ難しい話はいい加減やめておこう。自己満足にしかならない。

なんにせよ、訓練をすれば実在感を得られることと思う。ここは確実だ。

だから、タルパを信じられないことに負い目を持っている人は、どうか気を楽にしてほしい。
それが当然なのだ。タルパとは、あなたの手で「存在を創る」ものだ。

それが当たり前なんだけど、当たり前ではなくなってしまった。
タルパと言う言葉は、「創るもの」から「存在の受け皿」へと変わってしまった。

そのせいで、無用な不安や混乱が引き起こされていることも多い。
大事なのは、そのことを知っておくことだ。

元々タルパとはもっとシンプルで、創ろうとしている人にとってここまで不透明なものではなかった。
そして今は時間の積み重ねによって、分からなかったことも分かろうとしている。

だから、正しい認識さえあれば、たいがいの不安や疑問は消滅していくことと思う。
本当のところ、タルパに対する不安や恐れのほとんどは単なる杞憂である。

とりあえず、元々タルパと言えば創るものであることは覚えておいてほしい。
信じる問題だけでなく、信用ならないタルパの創り方を見分ける助けになるはずだ。

ただ現状、タルパの定義の拡大と、それによる混迷の歴史を語る資料は少ない。
初心者にとっては厳しい状況でもある。

けれど、どうかタルパ創りを諦めないでほしい。
今は信じることもできず苦しくても、視覚化やオート化にきっちりと成功しさえすれば、タルパは何よりも揺るがない精神の支柱にもなる。

何を信じるべきかと言われれば、自分自身を信じることだ。

安定したタルパを創るには、時間と忍耐が必要だから。
タルパを信じてあげることは、その後で簡単にできることだ。

だから今は、自分を信じてコツコツと進んでいってほしい。

僕の書いた記事が、少しでもその助けになれば幸いだ。
コメント
管理者のみに表示