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タルパを意識していると頭が疲れる、という話を聞く。

人によって表現は違う。
タルパに脳の領域を取られるとか、頭に負荷がかかると言う人もいるし、タルパにエネルギーを取られると言う人もいる。
まあ全て言っていることは同じだ。

要は、頭の中でタルパが動いていると疲れてしまう、と言う話だ。
だから、オート化を切る(タルパの動きを止める)ことができるようにしているタルパーも少なくない。

けれど、筆者にはあまりその実感はない。
訓練によって一日中タルパを意識できるようにもなったが、普段と比べて特段疲れるという事もない。

これはどういう事だろう。
確かにオート化し始めたころは疲れていたような気もするが、今はそうではない。

この疑問を解くカギになった、一つのエピソードがある。

何年か前。オートが進まないことにひどく疲れていた私が、二人目のタルパを創ろうとした時。それは二週間もしない内にタルパのようなものとして動き出した。しかし、それは私の脳をひどく疲れさせるものであった。意識しなくとも動き、その都度私を疲れさせる。
これはたまらない。私はそのタルパのようなものをイメージの力で火葬し、二度と現れないようにした。

ひどく後悔しているし、それ以来、私はタルパを増やそうとはしなくなった。
これは苦い体験である同時に私に一つの示唆を与えるものでもある。

もしかして、オート化までの期間がタルパの負荷に関係しているのかもしない。

そういえば、オート化を止められるようにしている人は、半年以内の早い段階でオート化した(半オート以上に進んだ)人が多い。

しかし、それはどうして?

私は考え、ある仮説によってこの疑問を解決することができた。

それは、回路化という仮説だ。
意識的に反復した知的行為はそれ全体が自動化された回路が構築され、脳の負担を少なくしたまま実行できる、というものだ。
それは、タルパの行動や心情を考える、と言った行為も含む。

この回路化が行われないまま、タルパやタルパに似た何かが自動で動くから疲れてしまう、というものだ。
この記事では、その仮説を説明することになる。

まず初めに、この記事ではオカルト的な見地を一切とっていないことは断っておく。

タルパは完全に、脳が見せている幻覚として扱う。

もちろん、その脳の働きによって霊が生まれるのだ、と考えても止めない。
しかし、この記事ではタルパを神秘的なものとして扱わない。

これは、オカルト的な話を含めると、ただ個人が信じる/信じないの話になってしまうためでもある。
論理的な物は検証や批判をすることができるが、そうでないものはできない。

仮説である以上、検証や発展ができなければ意味がないからだ。

この仮説は、タルパの負担を軽減する方法を示唆するものである。
それは、タルパ以外の例えばいわゆる思念体と呼ばれるものにも応用可能かもしれない。

さて、説明に移ろう。

そもそも、なぜタルパを意識していると頭が疲れるのか。

それは簡単だ。頭を使ったからである。当たり前の話だ。

オカルト的な立場を取れば、タルパとは自分の脳がわざわざイメージしたものである。

人はスピーチの内容を考えてるだけで疲れるし、計算をしても疲れる。
どんな脳の動きでも、何か行えば疲れてしまうのは間違いない。

しかし、無意識に行われることで脳が疲れるなんてあるんだろうかと思われるかもしれない。

そうであるなら、あなたに心配事があったことを思い出してみるといい。
自動で頭が色んなことを考え、その結果疲れ切っていなかっただろうか?

しかしなるほど、悩み事による疲れは、それ以外の原因にあるかもしれない。

では次は、テストの例を見てみよう。

必死に暗記物のテストを解いている時には、ただ思い出しているだけなのに疲れはしなかっただろうか。

そして、記憶を思い出す過程と言うのは、我々によって意識することは普通出来ない。
大半の人ができるのは、思いだした結果だけをただ受け取ることだけだ。

これは、タルパとも同じことだ。

単純に脳が動いているからその結果疲れているのだ。

ではなぜ、脳を疲れさせやすい(負荷の大きい)タルパとそうでないタルパがいるのだろうか?

ここで回路化の話が出てくる。
人は何度も意識的に繰り返した知的動作は、より素早く、かつ脳の負担を少なく行うことができる。

では、回路化とはどんなものを言いたいんだろう?

先ほどのテストの例で言えば、完璧に記憶したテストはスラスラと解くことができるだろう。

それは、「こうしたらこうする」という一連の動作が記憶されているからだ。
これをこの記事では回路化と呼ぶ。

例えば、まだ掛け算を習って間もない子供は、3×12 = ? という問題を与えられた時、饅頭が3個乗った皿が12個あってそれを数えると…と言うところからいちいち考えなくてはならない。
掛け算とは何か、どんな演算をするのが掛け算なのか、というところから考えなくてはならないわけだ。

しかし何度も掛け算を繰り返すうちに、掛け算の手順自体がはっきりと記憶され、あまり考えなくても、頭を使わなくても掛け算が解けるようになる。

このことを、ここでは回路化と呼ぶわけだ。

もう一つ挙げれば、架空の人物のセリフを考える作業。

小説を書いたの事のない初心者が、気の利いたセリフをひねり出すのに四苦八苦し、熟練の書き手がすらすらとセリフをつむぎ出すのも想像に難くないだろう。

これは、初心者は、"どのようにしたらいい感じのセリフになるか"自体を一から考えなくてはならないからである。熟練者はそのパターンが頭の中に大なり小なり収められているので、それに当てはめれば楽に書くことができる。
つまり、セリフの出し方が回路化されているのだ。

これはもちろん、能力と同一でのことはない。
今まで一度も脚本を書いたことのない人でも、思考と感性が鋭いのでセリフをひねり出すのが恐ろしく早い人はいる。
そういう人は、その作業が回路化されれば、より早く、楽にセリフを書くことができるだろう。

もちろん、これは誰のセリフを書くかによっても変わる。
何度もセリフを書いてきたキャラクターはすらすらとセリフや行動が書ける。

これはつまり、このキャラクターはどんな時に何を感じるか、というのが、しっかりと記憶されている。キャラの反応や行動基準などが回路化されている。人格が回路化されていると言ってもいい。

この記事で人格が回路化されていると言う時には「その架空の人物がどんな時に何を感じて何を考えるかを演算する作業が回路されている」と言う意味で使う。

これは、タルパも同じだ。
タルパの言葉を受け取るには、大きく分けて二段階の作業が必要だ。

①タルパが何を考えているか、何を言いたいかの抽象的なイメージを算出する。
②それを具体的な言葉に変換する

結論から言ってしまえば、タルパと話して激しく消耗する人は、この②の作業を行う能力が突出して高い。
そして、タルパによって疲れやすいことと、タルパができやすいことは大きく関連している。

②のタルパの人格が回路化されていなくても(どんな時にどんなことを考えるかというのがあまり定まっていなくても)セリフをひねり出すことができる。

より具体的に言う。

(回路化されていない)時には、その人物に行動や話をさせる時にこの人物はまずどういう性格をしていて…というところから無意識に考えなくてはならない。それは大変な作業で、当然疲れる。普通なら時間もかかるのだが、あやふやなイメージを言葉に変換する能力が高ければは、その大変な作業をすぐに行うことができる。

言ってしまえば、やりにくくて疲れること、本人の知的能力に任せて無理やり実行できてしまうのである。
こうした能力が高ければは、タルパがオート化しやすく、タルパが増えやすい。

なぜなら、ごくあやふやで不安定なイメージからでも、"タルパ"として言葉を受け取ることができるからである。
けれど、同じように脳が働いているのには間違いないので、疲れてしまうわけだ。

人格が回路化されている場合とは少し違う。どんな時にどんな反応をするか、何をどう感じ、考えるかが脳の中に記憶されているので、脳はそれを引き出すだけで済むが、そうでなければ、いちいち全てを一から演算しなくてはならない。

一口に「オート化」と言ってもその実態には二つある。

人格があやふやなまま本人の能力によって無理やり会話を実現している場合と、
そのタルパがどんな感性や思考回路を持っているかがはっきりと脳の中に記録されている場合である。

どこまでオート化しているか、という事は、会話がスムーズに帰ってくる、と言う「結果」でしか判断できない。

と言うのも、その結果の奥で、タルパの人格がはっきりと構築されてているか、脳の力を使ってセリフや行動をひねり出している物かは判別できない。

だから、同じようにタルパがオート化していても、疲れるものと疲れないものがあるわけである。

もちろん、疲れない理由には別のものがあるかもしれない。
しかし、そうであるとして、疲れていない人のパターンが一つ増えるだけである。

疲れる人が疲れないようにする、と言った方法の議論には、回路化は十分以上に有効性を持つ。

タルパが自分の知らない設定を持ってくる、と言うのもこれによって説明できる。
まだタルパの人格があやふやで、回路化されていない場合はタルパの人格などの設定をそのつど無意識に考えているので、自分が知らない設定が出てくる。なぜなら、その設定はたった今新たに考え出されたものだからだ。
そう言ったようなことをしているのであれば、タルパによって疲れてしまうことは感覚的にも納得できる。

けれど、会話のたびになぜ無意識にイメージされているのに、いつまでも回路化されない、なんて場合が起こるのか?

それは、タルパの言葉が聞こえてしまうからと考えられる。
平たく言えば、タルパの言動にあまり整合性や一貫性がなくても、すでにタルパが話しているので、それで安心する。自分には分からないだろうが何か考えがあるんだろうと考え、そこで思考が止まってしまう。フィードバックがない。

その人がなにを考えているのか、があいまいでもセリフをひねり出せる場合には、タルパがなぜそのことを言うのか、までは意識する必要はない。
極端な話、言ってほしいことやたまたま思いついたことを言わせるだけでも成立してしまう。

その人自体が何を考えているかがはっきりと回路化していれば、どんな状況にも対応させることができる。
人間は思考や心があるからこそ、取り巻く状況が変わっても色んな判断ができる。

けれど、そこを考えていなければ、その状況に合わせたところまでしかイメージできない。人間を取り巻く言葉や状況には無数のパターンがあるから、その都度(無意識に、脳が勝手に)考えなくてはならず、疲れてしまうわけだ。

逆に、タルパがどんなものに何を感じるか、がかっちりと回路化されていれば、どんな状況でも少ない力でタルパを動かすことができる。

では、すでにタルパを持っている人、またはタルパのようなもの(巷には思念体と呼ばれる)を持っている人が疲れないようにするにはどうすればいいのか?

簡単だ。その存在がどんな人格であり、何を感じ、何を考えてそのことを言っているのかをはっきりと意識することが重要だ。

タルパ視点の日記をつけるのが有効と言われるのもこのことだ。
タルパがどんなことをしているか、自分から見てどんな人間か、だけでなく、タルパ自身が具体的に何を感じ、考えているかを考えることだ。

そして、タルパや思念体が自分の脳が場当たり的に補完しているあやふやな人格であることを意識みることも重要だ。そうでないと、無意識に安心してしまうのでかなり効率が落ちる。まあこの認めることの重要さは体験に基づく意見だが。
それが難しいことであり時に心が傷つくことであるのは百も承知だ。
しかしまあ、自分の立場とこの記事の理論ではそうとしか言えないし、有効だとは考えられる。

以上のことは、もちろん未オートのタルパのオート化にも大いに役立つと考えられる。

ここまでがこの仮説の説明と、その発展の可能性だ。

最後に、この記事の内容を簡単にまとめてしめくくりとする。

①何度も繰り返して記憶した作業は、少ない力で行うことができる。それを仮に"回路化"と呼ぶ
②その人物がどんな時に何を考え、行動するか、というのがきっちり回路化されていることを人格の回路化と呼ぶ
③そのタルパの内面があやふやだと(タルパの人格が回路化されていないと)タルパが動かすたびに疲れてしまう。それは、架空の人物と会話する力が優れている場合に起きやすい。
④タルパをしっかりと回路化させるには、「自分から見てどんな人物か」だけでなく、「その人が何を感じ、考えているか」をイメージする必要がある。

以上である。これを最後まで読んでもらえるような人がいることに感謝する。
願わくば、この仮説が新たな技法や理論、仮説などの礎になりますよう。
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