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タルパとは何か?
2018/10/22 Mon 20:24
10/22 23:59 改稿
初版
「タルパって何? IFやタルパとどう違うの?」と悩んでる人のために書く。
これを読めば、みんなの言ってることがわかるはずだ。
まずは「タルパに似たもの」を紹介しよう。
そこから、今のタルパはどのようなものか、なぜそうなったのかを書いていく。
初版
「タルパって何? IFやタルパとどう違うの?」と悩んでる人のために書く。
これを読めば、みんなの言ってることがわかるはずだ。
まずは「タルパに似たもの」を紹介しよう。
そこから、今のタルパはどのようなものか、なぜそうなったのかを書いていく。
>>[タルパとは何か?]の続きを読む Category:考察
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英語圏と日本のタルパ文化の比較・前編
2018/10/12 Fri 21:32
この文書は、英語圏におけるタルパのコミュニティと、日本におけるタルパのコミュニティを比較するものだ。
この研究は前編と後編に分かれ、この記事は前編である。この記事では、日本と英語圏のタルパコミュニティの文化の大きな、根幹的な相違を紹介する。
そして後編では、
・日本と英語圏両方にある用語
・英語圏にあって日本にない用語
・日本にあって英語圏にない用語
の三点を解説することによってより具体的に両者を比較する。
さて、さっそく日本と英語圏のタルパコミュニティの大きな違いを見て行こう。
二者の最も大きな違いは、「タルパがどこにいるか」だ
英語圏のタルパは全く現実世界とは関わらない。
対して、日本のタルパは現実の世界と関わりを持つ。
例を言うと、日本のタルパーはタルパを自分の隣の椅子に座らせたりするが、英語圏のタルパ保持者はそれをしない。
英語圏のコミュニティでは、タルパが自分の精神の外に出ることはないとされているからだ。
心の中にあるものが、現実世界の椅子に座ったりはしない。
この違いは、視覚化の方法にも表れている。
日本では、タルパを現実に投影することが視覚化なのだが、英語圏では、視覚化は目を閉じて行う。あくまで自己の頭の中のイメージが鮮明に描かれるようにするのが視覚化(Visualization)だ。
もちろん、英語圏コミュニティにも幻覚のように見えるようにする技術はある。それはVisual Impositionと呼ばれる。
しかし、それはあくまで違う世界の情景が幻覚のようにはっきり見えた、という文脈である。現実の景色に重ねることはない。
依り代にも宿らないし、現実世界の食事を食べたりもしない。
逆に、日本のタルパはなぜこんなに現実と重なるんだろう?
それはつまり、過去の日本では、タルパを霊かそれに近いものとして捉えていたからだ。
これはまあ、一部の人からは当然すぎるほど当然のことだろう
日本のタルパは、全くのオカルトとして発展していた。
これは、英語圏のタルパコミュニティからすれば、驚くべきことかもしれない。
タルパの別名は「人工未知霊体」である。
今ではほとんど使われていない名前だが、タルパがその発展過程において、どのように捉えられていたかが分かる。
日本でのタルパコミュニティは、2ちゃんねるのオカルト板によって生まれた。
当然、オカルト板である以上、タルパがオカルトであることが当然として語られた。
コミュニティ内では様々なオカルト的概念や手法が持ち込まれ、タルパの創り方を模索していた。
現在アクセスできる最も古い資料は、タルパコピペと呼ばれるものだ。
霊とは、現実世界のどこかに位置するものだ。頭のだけにいるのなら、それはオカルトたりえない。
初期のタルパコミュニティでは、タルパが遠方の他人のところへ訪れることも普通に信じられていた。
現存する最古のコミュニティのログでは、イマジナリーフレンドや解離人格と近しいものとする考えは影も形ない。
それはつまり、かなり強固に、タルパとは現実世界と関わるもの、という考えがあったからだ。
日本のタルパは、その流れを汲むものなので、現実に映し出すことが重視される。
時とともに、タルパが現実空間に存在する、という考えは薄れ、ついに精神医学や心理学的な考えが導入されることにもなったが、表に現れない人々の共通認識としては、まだタルパは霊的なものである、との考えが強い。
では、英語圏のタルパコミュニティではどうか?
同じタルパなんだから、そこまでかわらないんだろう?
いいや、違う。それどころか、真逆と言ってもいい。
驚くべきことかもしれないが、タルパがオカルトであるという考えは、ほぼ完全に棄却されているからだ。
タルパが霊的な世界に働きかけるどころか、現実に重ね合わせることすらない。
完全に、タルパは保持者の心の中で完結しているのだ。
海外最大手コミュニティ『tulpa.info』の公式ホームページのQ&Aでは、このような文章が書かれている。
"This community tries to approach the tulpa phenomenon in a logical, psychologically-based way. We do not try to explain tulpas with magic, or the occult."と、はっきり言いきっている。
和訳すると、「このコミュニティではタルパをオカルトや超常現象として捉えず、論理と心理学的な方法によって分析しています」と書かれている。日本人から見れば、非常に力強い断言だ。
radditのタルパコミュニティのQ&Aでも、こう書かれている。
"The bulk of the community sees this is an entirely psychological technique which allows you to create a separate consciousness within your mind. However, there are those who view tulpas as occult in origin."
和訳すると、「このコミュニティのほとんどはこれ(タルパ)を自己の心の中に別の意識を創造する完全に心理学的な技術であると考えています。けれど、中にはこれをオカルト起源のものであると見る人もいます」と書かれている。
これは、一朝一夕にできた考えではない。むしろ文献が古くなればなるほど、この傾向は強まっている。
もっとも、これは私が観測できる範囲にあるだけのものだ。もっと以前にはどうであったかは分からない。しかし少なくとも、ある地点にはすでに、タルパは心理的なものとして考えられていた。
それでは、英語圏のコミュニティはなぜタルパを現実に重ねないんだろうか?
答えはシンプルだ。
オカルト的な考えを抜きにすれば、個人のイメージは現実に影響を与えることはないからだ。
ただのイメージが現実の椅子に座ったり食事をすることはない。
タルパが現実に関わる、という考えはあまりに日本のタルパーに染み付いているので、普段意識することは難しい。
今ではその考え方がおおっぴらに出ることはなくなったがそれは意識しない慣習のような形で残っている。
例えば依り代。自分の心の中にあるものが物に入る、なんてことは普通起きない。起きたらオカルトだ。
「タルパーを見分けたければ飲み物を注文するといい。彼らはストローを二本持っているから」みたいな笑い話は日本では成立するが、恐らく英語圏コミュニティでは成立しないだろう。いや、これが笑えるのかは知らないけれど。
また、日本の一部には、「タルパは現実世界とは違う精神世界に存在する」というような考え方があるが、英語圏のタルパコミュニティにはない。あっても恐らく棄却されている。
繰り返しになるが、英語圏におけるタルパは、自分の心の中で生み出され、活動するものであり、それ以上でもそれ以下でもないのだ。
タルパー自身も分からなくなるほど、日本のタルパはオカルト色を濃く受け継いでいる。
対して、英語圏のタルパは、心理的なものだ。保持者の頭の外に出ることはない。
もちろん、そこには様々な考えと議論も余地もあるが、主流となるのはそうだろう。
これさえ覚えておけば、たいていの差異は説明することができる。
もちろん、これに当てはまらない差異もある。
現在の日本のタルパコミュニティでは、タルパとイマジナリーフレンドは同列に語られ、時に同一視される。
これは、数々の摩擦とある事件、そしてTwitterなどで様々な界隈と接触したことで、「タルパが現実世界に影響を与える」と言う観念が消えかかったからだ。
過去は「現実に投影されていること」がタルパであることの重大な要件だった。しかし、それが弱まったことで「人格を持つ存在が自動で動くこと」に重点を置いてタルパを認識するようになった。なので、イマジナリーフレンドとタルパが近しいものとされるようになったのである。
ただ、「タルパは現実に重ねるもの」と言う考えが完全に消滅されたわけではない。確かに、おおっぴらに主張されることはなくなった。しかし前述のように、普段は意識されない形で、日本でのタルパコミュニティに染み付いている。
さて、英語圏のコミュニティではどうであろうか?
そこでは、タルパとイマジナリーフレンドは完全なる別物である、との考えが強い。
なぜなら、「自律的な意識と感性、そして意見を持つこと」に重点を置いて、タルパを認識しているからだ。
英語圏ではイマジナリーフレンドはそうでないのでイマジナリーフレンドとタルパは違う、といった考えが一般的である。
ただ、つい最近は少し事情が違うのかもしれない。要検証だ。
この違いを頭に入れておけば、後編の内容や英語のタルパ文献も頭に入りやすいだろう。
何しろ、日本ではタルパの詳細な創造ガイドはほぼ0に近いが、英語のそれは非常に充実している。
タルパ創造に悩んでいる人は、英語を勉強してみるといいかもしれない。
Google翻訳やweb辞書を併用すれば、英語を読むのは意外と簡単だ。(ただちょっと、文型は頭に叩き込んでおいた方がいいかもしれない)
ただ、それでも人を悩ませるのは専門用語だ。
後編では、専門用語の比較と解説を行いながら、英語圏と日本のタルパ観の違いを見て行こうと思う。
日本と英語話者のコミュニティ、この2者の文化はどちらが優れている、と言ったものではない。
二つの文化を比較することで、お互いの文化をよりよく理解することができる。理解することができれば、互いの長所を組み合わせ、または交信して、よりよい技術や考え方を作り出すことができる。
私は、タルパと言う概念の発達を、ひいてはタルパを持つ人全ての幸福を切に願っている。
この研究は前編と後編に分かれ、この記事は前編である。この記事では、日本と英語圏のタルパコミュニティの文化の大きな、根幹的な相違を紹介する。
そして後編では、
・日本と英語圏両方にある用語
・英語圏にあって日本にない用語
・日本にあって英語圏にない用語
の三点を解説することによってより具体的に両者を比較する。
さて、さっそく日本と英語圏のタルパコミュニティの大きな違いを見て行こう。
二者の最も大きな違いは、「タルパがどこにいるか」だ
英語圏のタルパは全く現実世界とは関わらない。
対して、日本のタルパは現実の世界と関わりを持つ。
例を言うと、日本のタルパーはタルパを自分の隣の椅子に座らせたりするが、英語圏のタルパ保持者はそれをしない。
英語圏のコミュニティでは、タルパが自分の精神の外に出ることはないとされているからだ。
心の中にあるものが、現実世界の椅子に座ったりはしない。
この違いは、視覚化の方法にも表れている。
日本では、タルパを現実に投影することが視覚化なのだが、英語圏では、視覚化は目を閉じて行う。あくまで自己の頭の中のイメージが鮮明に描かれるようにするのが視覚化(Visualization)だ。
もちろん、英語圏コミュニティにも幻覚のように見えるようにする技術はある。それはVisual Impositionと呼ばれる。
しかし、それはあくまで違う世界の情景が幻覚のようにはっきり見えた、という文脈である。現実の景色に重ねることはない。
依り代にも宿らないし、現実世界の食事を食べたりもしない。
逆に、日本のタルパはなぜこんなに現実と重なるんだろう?
それはつまり、過去の日本では、タルパを霊かそれに近いものとして捉えていたからだ。
これはまあ、一部の人からは当然すぎるほど当然のことだろう
日本のタルパは、全くのオカルトとして発展していた。
これは、英語圏のタルパコミュニティからすれば、驚くべきことかもしれない。
タルパの別名は「人工未知霊体」である。
今ではほとんど使われていない名前だが、タルパがその発展過程において、どのように捉えられていたかが分かる。
日本でのタルパコミュニティは、2ちゃんねるのオカルト板によって生まれた。
当然、オカルト板である以上、タルパがオカルトであることが当然として語られた。
コミュニティ内では様々なオカルト的概念や手法が持ち込まれ、タルパの創り方を模索していた。
現在アクセスできる最も古い資料は、タルパコピペと呼ばれるものだ。
霊とは、現実世界のどこかに位置するものだ。頭のだけにいるのなら、それはオカルトたりえない。
初期のタルパコミュニティでは、タルパが遠方の他人のところへ訪れることも普通に信じられていた。
現存する最古のコミュニティのログでは、イマジナリーフレンドや解離人格と近しいものとする考えは影も形ない。
それはつまり、かなり強固に、タルパとは現実世界と関わるもの、という考えがあったからだ。
日本のタルパは、その流れを汲むものなので、現実に映し出すことが重視される。
時とともに、タルパが現実空間に存在する、という考えは薄れ、ついに精神医学や心理学的な考えが導入されることにもなったが、表に現れない人々の共通認識としては、まだタルパは霊的なものである、との考えが強い。
では、英語圏のタルパコミュニティではどうか?
同じタルパなんだから、そこまでかわらないんだろう?
いいや、違う。それどころか、真逆と言ってもいい。
驚くべきことかもしれないが、タルパがオカルトであるという考えは、ほぼ完全に棄却されているからだ。
タルパが霊的な世界に働きかけるどころか、現実に重ね合わせることすらない。
完全に、タルパは保持者の心の中で完結しているのだ。
海外最大手コミュニティ『tulpa.info』の公式ホームページのQ&Aでは、このような文章が書かれている。
"This community tries to approach the tulpa phenomenon in a logical, psychologically-based way. We do not try to explain tulpas with magic, or the occult."と、はっきり言いきっている。
和訳すると、「このコミュニティではタルパをオカルトや超常現象として捉えず、論理と心理学的な方法によって分析しています」と書かれている。日本人から見れば、非常に力強い断言だ。
radditのタルパコミュニティのQ&Aでも、こう書かれている。
"The bulk of the community sees this is an entirely psychological technique which allows you to create a separate consciousness within your mind. However, there are those who view tulpas as occult in origin."
和訳すると、「このコミュニティのほとんどはこれ(タルパ)を自己の心の中に別の意識を創造する完全に心理学的な技術であると考えています。けれど、中にはこれをオカルト起源のものであると見る人もいます」と書かれている。
これは、一朝一夕にできた考えではない。むしろ文献が古くなればなるほど、この傾向は強まっている。
もっとも、これは私が観測できる範囲にあるだけのものだ。もっと以前にはどうであったかは分からない。しかし少なくとも、ある地点にはすでに、タルパは心理的なものとして考えられていた。
それでは、英語圏のコミュニティはなぜタルパを現実に重ねないんだろうか?
答えはシンプルだ。
オカルト的な考えを抜きにすれば、個人のイメージは現実に影響を与えることはないからだ。
ただのイメージが現実の椅子に座ったり食事をすることはない。
タルパが現実に関わる、という考えはあまりに日本のタルパーに染み付いているので、普段意識することは難しい。
今ではその考え方がおおっぴらに出ることはなくなったがそれは意識しない慣習のような形で残っている。
例えば依り代。自分の心の中にあるものが物に入る、なんてことは普通起きない。起きたらオカルトだ。
「タルパーを見分けたければ飲み物を注文するといい。彼らはストローを二本持っているから」みたいな笑い話は日本では成立するが、恐らく英語圏コミュニティでは成立しないだろう。いや、これが笑えるのかは知らないけれど。
また、日本の一部には、「タルパは現実世界とは違う精神世界に存在する」というような考え方があるが、英語圏のタルパコミュニティにはない。あっても恐らく棄却されている。
繰り返しになるが、英語圏におけるタルパは、自分の心の中で生み出され、活動するものであり、それ以上でもそれ以下でもないのだ。
タルパー自身も分からなくなるほど、日本のタルパはオカルト色を濃く受け継いでいる。
対して、英語圏のタルパは、心理的なものだ。保持者の頭の外に出ることはない。
もちろん、そこには様々な考えと議論も余地もあるが、主流となるのはそうだろう。
これさえ覚えておけば、たいていの差異は説明することができる。
もちろん、これに当てはまらない差異もある。
現在の日本のタルパコミュニティでは、タルパとイマジナリーフレンドは同列に語られ、時に同一視される。
これは、数々の摩擦とある事件、そしてTwitterなどで様々な界隈と接触したことで、「タルパが現実世界に影響を与える」と言う観念が消えかかったからだ。
過去は「現実に投影されていること」がタルパであることの重大な要件だった。しかし、それが弱まったことで「人格を持つ存在が自動で動くこと」に重点を置いてタルパを認識するようになった。なので、イマジナリーフレンドとタルパが近しいものとされるようになったのである。
ただ、「タルパは現実に重ねるもの」と言う考えが完全に消滅されたわけではない。確かに、おおっぴらに主張されることはなくなった。しかし前述のように、普段は意識されない形で、日本でのタルパコミュニティに染み付いている。
さて、英語圏のコミュニティではどうであろうか?
そこでは、タルパとイマジナリーフレンドは完全なる別物である、との考えが強い。
なぜなら、「自律的な意識と感性、そして意見を持つこと」に重点を置いて、タルパを認識しているからだ。
英語圏ではイマジナリーフレンドはそうでないのでイマジナリーフレンドとタルパは違う、といった考えが一般的である。
ただ、つい最近は少し事情が違うのかもしれない。要検証だ。
この違いを頭に入れておけば、後編の内容や英語のタルパ文献も頭に入りやすいだろう。
何しろ、日本ではタルパの詳細な創造ガイドはほぼ0に近いが、英語のそれは非常に充実している。
タルパ創造に悩んでいる人は、英語を勉強してみるといいかもしれない。
Google翻訳やweb辞書を併用すれば、英語を読むのは意外と簡単だ。(ただちょっと、文型は頭に叩き込んでおいた方がいいかもしれない)
ただ、それでも人を悩ませるのは専門用語だ。
後編では、専門用語の比較と解説を行いながら、英語圏と日本のタルパ観の違いを見て行こうと思う。
日本と英語話者のコミュニティ、この2者の文化はどちらが優れている、と言ったものではない。
二つの文化を比較することで、お互いの文化をよりよく理解することができる。理解することができれば、互いの長所を組み合わせ、または交信して、よりよい技術や考え方を作り出すことができる。
私は、タルパと言う概念の発達を、ひいてはタルパを持つ人全ての幸福を切に願っている。

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